最近購入した本、『「好きなこと」だけして 生きていく』 心屋仁之助
もはや自分が何に執着し、何に怒りを感じていたかも分からず、無気力に日々を送っていた。。。のかも??
心屋さんはテレビで何度か見かけて、なんとなくその時どきの発言が印象には残っていました。
でも書店で著作本を見つけて購入したのは、テレビで見ていたから、ではない気がします。
今年に入ったくらいから、とにかく家に居るのが辛く、かと言って仕事を探す気力もなく、ジムに通う以外には書店で手頃な本を見つけてはスタバで読みふけって時間を過ごしていました。
こういう生活って・・・なんか後ろめたい。
働きもしないで、ブラブラ時間をつぶして。
家の掃除でもすれば良いのに。
・・・・・毎日後ろ向き^^;
2階の居間として使っている部屋はまあまあ片付きました。
洗濯物は積んだままになっていないし、アイロンや掃除道具は使用後にすぐ仕舞っている。
1階の台所は流し台・調理台は毎日きれいに掃除して月単位で収納も少しずつ改善をしている。
子供の部屋は春休みに大掃除後、維持は難しいながらなんとか踏みとどまらせている。
でも、どうしてもやる気が起こらなくて何もしたくない日も多いです。
その中で心屋さんの本に出会いました。
「ほんとうにやりたいことだけやる」って難しい、これまでの私には。
自覚あるなしに関わらず「生きにくさ」を心に抱えているのはACの場合が多いそう。
妹のカウンセラーは妹から私の話を聞いて
「お姉さんは懲りない人、期待を捨てない人。親への気持ちが報われないにも関わらず「今度こそ伝わる」と考える。そして思いが届かないことに毎回怒りを感じてしまう」
そういう趣旨の事を言っていたそうです。
これを聞かされた時はなんだか受け入れたくなかったのですが、まあ、そうなんですよね。図星。。。
身近な人間に対して私は怒りを持ちやすい。これは子供に対して表れやすいです。
いろんなきっかけで叱りつけて、後で激しく落ち込む。
「本当は怒りたくなんかない」
そう、私、分かっていたはず。怒りたくない!と言いながら怒ってました。
小学生の頃、両親が言い争っていました。
後で聞いたところでは、この頃父が事業の負債の責任をとって経営から身を引いたのと体調不良が重なり、収入がなく(でもブラブラしていた)そこに借金の保証人になっていたのが仇になり、まあとにかく家族のピンチでした。
この時に母が決断していたらまた違った人生だったかもしれないけど、残念ながら共依存の夫婦なので私たち子供も巻き込んで長い長い借金地獄へと転落していきました。
両親の争いが絶えなくて、「子供の帰りが遅い」「生返事している」ちょっとでも私たち子供の態度が気に障ると私と年子の妹には特に容赦なく手が出ました。
中学生の姉は「思春期の大切な時期に悪いことをした」と。末っ子はまだ幼くてただただ可愛くて。だから私たち2人ほどには鉄拳を受けていません。
年子の妹は姉からも執拗にいじめられていました。
この頃から亡くなるまで、父は借金の話に触れると「俺は何も悪くない、お前らの為に借金した。お母さんが金に汚くて金を渡さないと執拗に俺を責めるから仕方なく借金した。俺は自分の快楽の為に借金したことは無い。」と怒るのが定番でした^^;
どうしてもっと、早くに気が付けなかったんでしょうね。
私、両親から自由になりたかったんです。
親に対する怒りから解放されたい、それが本当の気持ち。。。かな
母と最期に目を合わせた瞬間が忘れられないんですが、多分母も「最期」と思っていたはず、でも『愛ある眼差し』では無かったと私は思っています。
この時一緒にいたのは年子の妹でした。
帰路も妹とは話をいっぱいしましたが、ほぼ同じ感想でした。
母が亡くなって2年が、父が亡くなって半年が過ぎました。
「ウチの親は愛情が無かった」と言うことに後ろめたさがあったんですが、もうええやん、と思います。
私は父が言った通り「お前は人の情が分からない人間」なんです。親の情を知らないのだから仕方ない。
父の見栄に付き合って、仲良し家族を演じていました。もう何の為だったかも分からないけど。
母には父との縁をきっぱり切って欲しかった。
でも、母は子への愛情よりも父を選んだ。
私は今、2人の子供の親であり、いつもどこか「両親の様な親になっているのじゃないか」という不安があります。
でも、私は両親のしてきたことが間違っていると分かっているから。
少し心の整理が出来たかな、と思います。