2014年 05月 15日
母を想う、ついでの話
昨年の今日、丁度今位の時間に、妹から連絡があったはず。
もう「今日がおそらく最後」と朝に連絡は受けていたので、連絡をくれた妹と妙に冷静に話をしていた事を思い出します。
数日前に、礼服が太ってしまって着られなくなっているのに気が付いて、購入していました。
準備良すぎ^^;
それでも、「母を亡くす」とはこういうことなのかと、泣いている自分が不思議でした。
実は昨日、ここに書き込んでいる時「明日が命日」と言うことをすっかり忘れていました(なんて薄情な)
でも、別件でふと思い出したことがあって、妹宅に電話しました。
何度目かのコールで出たのは、意外にも父でした。
まだ入院しているものと思っていたので。。。
もう治療は出来ないとのことで、自宅に戻っている。普通に食事や短い外出は出来るが、現状維持もいつまで持つか分からない。
話しを出来るのも、これが最後かも。
思っていたより淡々と話す父に、私自身もほんの少し雪解けみたいなものが感じられました。
昨夜もう一人の遠方の妹に連絡し、6月にも会いに行こうか?と話し合いました。
まあ、長居するとケンカになりそうな気がしなくもないけど。
母はこの1年、何を思って私たちを見ていたんだろう?
自分の期待通りにならない娘を苦々しく思っていたのか
あの世でも、父以外の家族は眼中にないのだろうか
自分が娘たちとすごした思い出を振り返っているのだろうか
それでも、私の夫は「お義母さんには本当に良くしてもらった」と、言います。
父の扱いに傷ついていたはずなのに、そんな父を咎めもしない母の事を夫は「良い人だった」と懐かしんでくれます。
義母はかなり変わった人です。
どうやって子育てしてきたのか、よく無事に義姉と夫が育ったなと思います。
夫の「自分の親が嫌い」という、その気持ちが分かりすぎて心が痛みます。。。
私は実母の様にも、義母の様にもなりたくない。
夫と子供たちのよりどころになる家庭にしたい、そう思っています。
愚痴っぽいこと書くのはどうだろう、、、そう思っていたのですが、いろいろ思うところあり、ここでは正直な気持ちも書いてしまおうかと。
で、生活の中で愚痴を言うのはやめることにします。
読まれていて不愉快になるかもしれませんが、そんな時はどうかスルーお願いします。
もう「今日がおそらく最後」と朝に連絡は受けていたので、連絡をくれた妹と妙に冷静に話をしていた事を思い出します。
数日前に、礼服が太ってしまって着られなくなっているのに気が付いて、購入していました。
準備良すぎ^^;
それでも、「母を亡くす」とはこういうことなのかと、泣いている自分が不思議でした。
実は昨日、ここに書き込んでいる時「明日が命日」と言うことをすっかり忘れていました(なんて薄情な)
でも、別件でふと思い出したことがあって、妹宅に電話しました。
何度目かのコールで出たのは、意外にも父でした。
まだ入院しているものと思っていたので。。。
もう治療は出来ないとのことで、自宅に戻っている。普通に食事や短い外出は出来るが、現状維持もいつまで持つか分からない。
話しを出来るのも、これが最後かも。
思っていたより淡々と話す父に、私自身もほんの少し雪解けみたいなものが感じられました。
昨夜もう一人の遠方の妹に連絡し、6月にも会いに行こうか?と話し合いました。
まあ、長居するとケンカになりそうな気がしなくもないけど。
母はこの1年、何を思って私たちを見ていたんだろう?
自分の期待通りにならない娘を苦々しく思っていたのか
あの世でも、父以外の家族は眼中にないのだろうか
自分が娘たちとすごした思い出を振り返っているのだろうか
それでも、私の夫は「お義母さんには本当に良くしてもらった」と、言います。
父の扱いに傷ついていたはずなのに、そんな父を咎めもしない母の事を夫は「良い人だった」と懐かしんでくれます。
義母はかなり変わった人です。
どうやって子育てしてきたのか、よく無事に義姉と夫が育ったなと思います。
夫の「自分の親が嫌い」という、その気持ちが分かりすぎて心が痛みます。。。
私は実母の様にも、義母の様にもなりたくない。
夫と子供たちのよりどころになる家庭にしたい、そう思っています。
愚痴っぽいこと書くのはどうだろう、、、そう思っていたのですが、いろいろ思うところあり、ここでは正直な気持ちも書いてしまおうかと。
で、生活の中で愚痴を言うのはやめることにします。
読まれていて不愉快になるかもしれませんが、そんな時はどうかスルーお願いします。
by sononon310
| 2014-05-15 15:54
| ひとりごと